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栗城史多さん(登山家)エベレスト8度目の挑戦中死亡。挑戦記録【追悼】

8度目のエベレストに挑戦中だった

登山家の栗城史多さんが亡くなったそうです。

自身8度目になるエベレストの挑戦

一体何が栗城さんを付き動かしたのか。

私自身Facebookでフォローをしている大すきな登山家さんだったので

エベレストチャレンジをまとめてみました。

https://www.facebook.com

栗城史多(くりき のぶかず)

1982年6月9日(35歳没)  

出身:北海道

エベレストはヒマラヤ山脈にある世界最高峰の山ですね。

山頂は目パールと中国の間にあります。

標高は8848m

実際どれくらいなのかというと、

富士山は3776mなので

富士山の倍以上ある山なんですね。

富士山はまだ道が整っていますが、

エベレストの場合はそーはいきません。

大自然に挑みにいくようなものだと思います。

世界7大陸の最高峰の6個を制した栗城さんが

まだ制してないのはエベレストだけでした。

7大陸の最高峰の内8000mを超えるのはエベレストのみなのですが、

通常8000メートルを超える山には

酸素が薄くなりすぎてしまうので酸素ボンベが必要。

しかし、「無酸素」「単独」でのエベレスト登頂を目指していたのです。

エベレストに挑み続けた栗城さん。

栗城さんの父親もマスコミの取材に対して

「大好きなエベレストで死んだのだから、

交通事故で死ぬよりは彼にとってよっぽど幸せ」

と語っていました。

それほど好きだったエベレスト。

無念にも登頂達成がかなわないものになってしまいましたが

栗城さんが挑み続けたエベレスト登頂チャレンジ記録だけは残しておきたく思いました。

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エベレスト登頂チャレンジ記録

2009年9月(26歳) 1回目のチャレンジ

北稜北壁メスナールートから登頂を目指す。

しかし、体力の限界にて7950mで断念

2010年8月(27歳) 2回目のチャレンジ

南東稜ノーマルルートから登頂を目指す。

C4サウスコル7900mに達する事が出来ず7750mで断念

この時、一緒に同行していたシェルパが一人死亡しているようです。

2011年8月(28歳) 3回目のチャレンジ

南東稜ノーマルルートから登頂を目指す。

7800m地点に食料を埋め、一度ベースキャンプに戻り、

体調を整えて再度登頂を試みるも、

食料を動物に荒らされ登頂を断念せざるおえなかった。

この時、同行したフリーカメラマンがくも膜下出血でなくなっています。

2012年8月(29歳) 4回目のチャレンジ

西稜ルートで登頂を目指す。

6400m時点で人差し指が凍傷になっていたのに

登山を続行するも、強風の為7700mで断念

凍傷悪化で下山が不可能になったため救助を要請し、救出される。

この凍傷が原因で

2013年末、両手指9本と切断する事になります。

https://www.facebook.com

これ、かなり衝撃的だったのを覚えています。

凍傷ってこんなに肌が黒くなるのか!!っていう衝撃と

指を切断の衝撃・・・・

2015年8月(32歳) 5回目のチャレンジ

指の切断を余儀なくされてから3年ぶりの挑戦。

南東稜ノーマルルートから登頂を目指す。

サウスコル(標高8000m)付近で断念

2016年9月(33歳) 6回目のチャレンジ

中国側のグレート・クーロワールから山頂を目指す。

7400mで断念

2017年春(34歳) 7回目のチャレンジ
中国側のグレート・クーロワールから

山頂を目指そうとするも6800mで断念。

2018年5月(35歳) 8回目のチャレンジ

7400m付近で体調を崩して断念。

下山中に遺体が発見される。

今まで枠にはまらない登山で

沢山の人を勇気づけてきた栗城さん。

お悔みを申し上げます。

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