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かこさとし(絵本作家)死去。経歴や代表作品は?娘が語る子供に対する考え方【プロフェッショナル】

こんにちは、miiです♩

6/4放送の『プロフェッショナル』

絵本作家のかこさとしさんが特集されます。

2018年5月2日、

慢性腎不全で御年92歳で永眠されたそうです。

かこさんの絵本は誰もが小さい時に目にした事があるのではないでしょうか?

プロフェッショナルでは3か月間、

かこさんに密着して取材をされていたそうです。

作品は幼い頃に触れた事があるものが多数。

かこさんのだるまちゃんシリーズは特に、どこか懐かしく感じます(*´ω`*)

こんな絵本を書いていたかこさんはどんな人だったのか?

絵本の魅力や、かこさんの経歴や支えてきた家族など、

気になったので調べてみました♩

かこさとしの魅力ある作品達

作品としてのジャンルは様々で、ユーモラスな絵本から

子供の好奇心を引きだすような科学絵本に至るまで、

幅広く書いていた加古さん。

紙芝居や一般書を含めた作品は

なんと700点以上にも!

かこさんの作風は語り掛ける様な文章でつづり、

挿絵や図版を駆使したような子供に寄り添ったもので

どこか懐かしく、温かく感じるようなものが多いです。

代表作としては

だるまちゃんシリーズ

http://kakosatoshi.jp

だるまちゃんシリーズは

今年2018年にも新刊が3冊発売されるほど

ずーっとあるロングシリーズです。

今後発行されないと思うと寂しいですね。

からすのパンやさん

http://kakosatoshi.jp

などが有名。

「からすのパンやさん」は発行数が一番多いいんだそう♪

カラスのパンやさん・だるまちゃんともに、

キャラがかわいい事もあり

Tシャツ専門ショップ『グラニフ』とコラボして

Tシャツも販売されています✨

あとは個人的に懐かしいものを発見!

これもかこさんだったんだ!なんてものを

ピックアップしてみましたよん♩(*´ω`*)

はははのはなし

歯医者さんに行くと必ずあるやつw

虫歯の絵本ですねw

幼いながらにめっちゃこわかった~。。

http://kakosatoshi.jp

とこちゃんはどこ

ウォーリーを探せよりずーーーーっと前にあった

とこちゃんを探す絵本!!

人物探しの先駆者ですね(*´ω`*)

http://kakosatoshi.jp

どろぼうがっこう

これ個人的にめっちゃ懐かしいw

内容は全く覚えてないけど(←)

「ぬきあし差し足忍び足・・・」

がこれでマイブームになりましたw

http://kakosatoshi.jp

他にもさまざまな絵本があります。

かこさんの残した絵本には

子供たちを想う愛情がいっぱい詰まっています(*´ω`*)

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かこさとしのプロフィール


http://books.bunshun.jp

名前:加古里子(かこ さとし)

本名:中島哲(なかじま さとし)

生年月日:1926年3月31日-2018年5月2日(享年92歳)

出身:福井県武生市(現在の越前市)

1933年、7歳の頃に東京へ。

元々絵を描くことが大好きだったさとし少年は

近所の絵が上手な子などの影響で

ますます絵を描くことが好きになっていったそうです。

1943年、17歳の頃

高校に入学したが戦争の為、

2年生からは軍需工場に動員されます。

今の時代じゃ想像が出来ないですね。。

このころ友人との交流の為に

回覧板に載せていた俳句のペンネームが

現在使用されている「里子」の由来になるものだそうです。

1945年、19歳の頃

東京帝国大学工業部応用科学科に入学。

疎開先の三重県で終戦したそうです。

1946年、20歳の頃

演劇研究会に入り、子供向けの演劇脚本を書き始める。

このころから本格的に子供に向けた書き物を始めたんですね。

卒業後は昭和電工に入社し研究所勤務をされていたそうです。

そのかたわら、紙芝居人形劇などの活動を行っていました。

絵本でのデビュー作は33歳の頃出版した『ダムのおじさんたち』

http://kakosatoshi.jp

ダムがどのように人々の生活の役に立っているのかを描いた絵本なんだそう。

ここから60年間、書き続けてきたんですね。

1973年47歳の頃

昭和電工を退職し、フリーで活動を行い始めます。

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かこさとしの家族と子育てとは?

かこさんは1955年に同じ会社で部長秘書だった奥様とご結婚され、

娘さんが2人いらっしゃいます。

長女は鈴木万里さん、妹さんは4つ下なんだそう。

写真は、長女の鈴木万里さん。

かこさんは子供向けに絵本を書いているお方。

想像できるのは、そんなおとうさんがだったら

いっぱい遊んでくれそう!なイメージありますよね(*´ω`*)笑

勝手なイメージですが笑

しかし、そのイメージとはウラハラ。

長女の万里さんとは小さい頃はよく遊んだそうですが、

次女が生まれてから娘たちと一緒に遊ぶ事はほとんどなかったとい言います。

意外!!

って思いますよね?

そこにはこんな思いがありました。

遊びは、子供が自らやりたいと思って、そこから始まるもの。

『自分たちで遊びが出てくるような遊ばせ方をしたい』

と強く思っていました。

それは自分の娘にもだし、他の子どもたちにも。

なので、親が子供を遊ばせるのではなく、

子供は子供の世界で、子供同士で遊ばせる主義。

どんなに昔の素晴らしい遊びでも、無理やり大人が教える事はしなかったそうです。

子供がやりたいと思って習うならいいけど

「こうやるんだよ」とか大人が教えてあげるものではない。

これは、

はー。なるほどー。。。

と、かなり共感。

親だったら(ほかの人間関係でも)やりがち。

子供を何とかしてあげたいと思うがために色々教えてあげがち。

それが悪いとかではなく、

自発的に「こうしたい」が芽生えてきたらステキだなーと思いました。

そんな子育てを受けてきた娘さんは、かこさんについて

子供は充分な表現が出来ないから

感じる事は出来てもそれを言葉に出来なくて泣くことがよくあった。

「いう事を聞けなくて怒られているのが悲しい」んじゃなくて

「自分の言いたい事が伝えられなかったのが悲しくて」泣いてる

それを父はわかっているようでした。

自己表現が出来ない子供の事を

「そのうち出来るさ」っておおらかに見てあげる人だった。

と語っています。

絵本を書く時も、子供たちがどのような感覚なのか

子供たちの目線にたたないと書けないと思いますが、

かこさんは、そういった意味でも、子供たちの感情をくみとりながら

接していたのかもしれませんね。

かこさんの人柄が見えるエピソード(*´ω`*)

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まとめ

いかがでしたか?

かこさとしさんの絵本の新刊が出る事はもうないですが、

今まで想いを込めて作成されてきた愛すべき絵本たちは

子供にかこさんの想いを伝え続けてくれると思います(*´ω`*)

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