尾畠春夫(おばたはるお)の名言に感動!経歴や家族、ボランティアのきっかけは?【情熱大陸】

こんにちは♪miiです✨

 

9/23放送の『情熱大陸』は

スーパーボランティアと呼ばれる尾畠春夫さん!

 

山口県の神隠しといわれた

二歳児を発見して一躍時の人となったのが

まだ記憶に新しいですよね。

 

赤いつなぎとヘルメットがトレードマークの尾畠さん。

 

携帯でなかなか”尾畠”って出てこず・・

”尾畑”になってしまいますね(笑)

 

被災地でも様々なボランティア活動をされていますが

尾畠さんは一体どんな人生を歩んで

今のボランティアの道へ進んだのでしょうか?

 

家族はどんな人なのか・・・?

 

今回はそんな尾畠さんについて調査してみたいと思います!

 

では早速!

行ってみましょう♪

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尾畠春夫wiki風プロフィール

名前:尾畠春夫(おばた はるお)

生年月日:1939年

年齢:78歳(2018年9月時点)

身長:161㎝

出身:大分県国東市

 

戦前に大分で生まれた尾畠さん。

 

小学5年生の時に母親を亡くし、

貧しい実家を助けるために農家へ奉公へ出て

中学校は3年間のうち、

4か月しか通えなかったといいます。

 

今がどれだけ恵まれているのかを

痛感しますね・・・

 

中学卒業後は、大分別府市で

鮮魚店で働き始めます。

 

お魚屋さんで働き始めたは

信頼していた姉の勧めだったそうで

 

「あんたは元気がいいから魚屋になりなさい」

と言われたことがきっかけなんだそうです(笑)

 

その後、山口県下関市の魚屋ではフグの勉強、

兵庫県神戸市の魚屋では関西流の魚のさばき方や

コミュニケーション術を学び、修行をしてたんですね!

 

しかし、独立しようとしたとき、

魚屋での給料が安く、貯金はゼロ。

 

そのため開業資金を得るために上京し

東京都大田区で鷲と土木の会社に

「俺には夢があります。どんな仕事でもするので働かせてください」

と頼み込み、就職をしました。

 

このころの経験は現在のボランティア活動に

役立ってるそうです。

 

資金を調達した尾畠さんは

1968年、29歳で大分へ帰郷、

魚屋「魚春」を開業します。

 

地元では人気店だったそうですが、

65歳の時に惜しまれながら閉店。

 

15歳の頃から、働くのは50年間と決めていたそうで、

それ以降はボランティア活動に専念し始めました。

 

 

趣味は登山で58歳の時に

北アルプスの55の山を単独で制覇するほどなんだそうですw

 

2006年には

鹿児島県から北海道まで日本列島を徒歩で横断する旅に出発、

4月1日から3か月かけて3000キロもの距離を歩き、

7月1日に制覇しています

 

その印象は、

とにかくアクティブ!!

 

80歳に近い年齢とは思えないですよね。(笑)

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尾畠さんのボランティア経歴

尾畠さんがボランティア活動を本格的に始めたのは

2004年に新潟県中越地震からのようです。

当時65歳、魚春を閉店したタイミングからです。

 

ボランティアとして参加をし、

ほかのボランティアから師匠と呼ばれていた

といいます(笑)

 

それ以前の魚春を営業しているころから、

由布岳の登山道を整備するために

月に7~8回ほど40㎏もの、材料を担いで

整備をし、案内板の設置を行っていたようです。

 

これがボランティア活動の

きっかけになったのでしょうか?

 

尾畠さんは、65歳で魚春を閉めた際に

「学歴も何もない自分がここまでやってこられた。社会に恩返しがしたい」

と思い、ボランティアを始めたそうです。

 

この新潟地震を皮切りに、

 

2011年東日本大震災

「思い出探し隊」の隊長として

宮城県でがれきの中からアルバムなどを探す活動をされていました。

大分と宮城を車で往復し400日以上支援活動をしていたそうです!

 

大分と宮城を車で往復・・・(;´∀`)

それだけでスゴイ。。

 

2015年に東日本豪雨

2016年の熊本地震も車中泊をして作業に参加しています。

 

 

災害以外にも、

行方不明者の捜索ボランティアもされていて

 

2016年12月大分佐伯市で2歳の女の子が

行方不明になった時にも捜索活動に参加。

 

そして今年2018年8月の

山口県2歳児の行方不明捜索にも参加し、

発見者として一躍時の人となりましたね。

 

とにかく”社会に恩を返す”と、

ボランティアに力を入れているんですね。

スゴイ事です。

 

何よりもすごいのは

活動資金は自身が受給している年金55000円のみ。

 

「残りの人生をすべて恩返しに充てたい」

と語っていて、

 

この活動資金で

自家用車に食料や水、生活用品を詰め込んで動いています。

 

助ける側に迷惑をかけないのを信条としていて

自己完結するのが真のボランティアである。

近年ボランティアとして被災地などに支援に行く方がいっぱいいますが、

尾畠さんは「ボランティアをさせてもらっている」という精神で

活動されていて、そこが尊敬されているんですね。

 

2018年9月には、その活動が注目され

「大分県日出町功労者表彰」を受賞しています。

 

 

尾畠さんのすごさはその人柄にあり。名言集

家族は?奥さんは”お出かけ中”で5年??

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尾畠さんのすごさはその人柄にあり。名言集

尾畠さんの言葉は人を元気にさせたり、

今迷っている人にも何かを思い出させてくれる言葉が多いです。

 

共感しなくてもOK。

ただ、何かがあったときに助けてくれる言葉になるかもしれないですよね。

 

そんな尾畠さんの生き様がのぞける名言をまとめてみました♪

 

「朝は必ず来るよ。」

 

「世間から貰った恩を万分の一でも返していく」

 

「やっぱし夢を持ち続るっちゅうこと。

夢を持ったらそれを目標立てて、計画立てて、

迷うことなく実行することがいいと思います。」

 

「困ったときはお互い様。明日は我が身かもしれないから」

 

「日本は資源のない国。だけど知恵が無限にある」

 

「お金はいるだけあったらいいです。余分にはいらないから」

 

「たまがるほどの元気 たまがるほどの笑顔 たまがるほどの愛情

たまがるほどのまごころ たまがるほどの幸せを」

 

「褒める 褒められる 褒め返す」

 

「かけた恩は水に流せ、受けた恩は石に刻め」

 

 

なかなか、人間自分のことを考えてしまい

素直にこうは思えないこともありますよね。

 

だから、生きてきた分の言葉の重みな気がします。

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家族は?奥さんは”お出かけ中”で5年??

尾畠さんは鷲と土木の会社を辞め、

大分に帰郷した際に、現在の奥様とご結婚されました。

 

出会いは別府の鮮魚店で働いていた時のようで

15歳の時には出会っていたんですね✨

 

3つ下の女性で、

尾畠さんが働いていた鮮魚店の

お向かいのお店の娘さんだったそうです。

 

当時から「いつかあの子と結婚したい」

と思っていたといいます。

 

それが29歳の時に結ばれたのですから

なんだか素敵な話です。

 

二人の間には

現在48歳の息子さんと45歳の娘さんがいて、

孫が5人いるおじいちゃん。

 

 

しかし、現在奥様は旅に出ていて、

5年は帰ってきていないそうです。(・・;)

 

「自由にしたい」と出かけたようで

「はい、どうぞ」と送り出したんですって^^;

 

普通にこんなことありえるんですね(;´∀`)

 

自分の人生は自分で歩むべき。

 

尾畠さんは、奥さんが自分でそうしたいならそうすればいいと思い、

カギは持っているから、奥さんが帰りたいときに

いつでも帰ってこれるようにしているんですね。

 

子供に対しても

国民の義務さえ果たしていれば、何をしてもいいと

どうしろこうしろといったことはないんだそうです。

 

逃げる者は追わない、その時の状況に応じた生活をしているだけ

 

そう語る生き方。

まさに生きざまというか・・

自由というか・・・(笑)

 

何よりも、

自分の意志を貫いた生き方をされていますよね。w

 

いつか奥さんの旅が終わりかえってきますように・・・✨

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まとめ

いかがでしたか?

 

今回はスーパーボランティアの尾畠さんについて調査してみました♪

 

なんというか・・生きざまがすごいです。

言葉一言にも、この人生ありで感銘をうけますね。

 

これからも自分の人生を貫く生き方を魅せてくれそうな

パワフルなおじいちゃん!

いろいろと刺激をいただきました!!

 

さー私もがんばるぞー!!!(笑)

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました♪

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