こんにちは♪miiです^^
12/17放送の『プロフェッショナル 仕事の流儀』では
僧侶の高橋卓志さんに密着されるようです^^
仏教界の革命児と言われているようですね。
一体どんな人物なのか?
今回はそんな高橋さんについて
調査して観たいと思います♪
では早速!
いってみましょー✨
高橋卓志wiki風プロフィール&経歴
名前:高橋卓志(たかはし たくし)
生年月日:1984年12月4日
年齢:70歳(2018年12月時点)
高校:長野県松本深志高等学校
大学:龍谷大学
大学院:龍谷大学院東洋史学科中退
出身:長野県
高橋さんは
1000年近く続く歴史のあるお寺、
神宮寺の住職の一人息子として生まれました。
大学院を中退後、
海清寺専門道場で2年間の修行をし
1976年に副住職として神宮寺に入り
1991年に父の後を継ぎ、住職へ就任。
お寺の近代化や公益性を追求し
檀家制度の廃止と世襲の撤廃を公言し
原発事故の被災者支援に取り組む
日本チェルノブイリ連帯基金の設立に参加したり
長野県NPOセンター代表
ライフデザインセンター代表
なども務めていました。
故・永六輔さんらと共に
寺の一部を教室にして開いた「尋常浅間学校」は
著名人から多くの賛同を得て、大反響。
現代の硬直化した学校教育にはない
面白い学びと遊びをやってみようという
コンセプトで始めたのが大当たりだったようですw
高橋さんは母校、
龍谷大学社会学部大学院客員教授もやられていて
命についての講義も行っていました。
「いのちの伝承」で平和を訴え
寺の在り方を常に問い、
著書、『寺よ、変われ』では
社会に衝撃を与えました。
そんな高橋さんですが、
現副住職の谷川光昭さん(31)と出会い、
寺務の後継体制が整ったことから
今年、2018年4月に事実上の住職引退を決め
2020年に予定されている谷川さんの住職就任をもって
住職を正式に引退されるとのことです。
今後の活動に関しては
「日本の仏教界や僧侶を激しく批判して来たことへの責任を全面的に果たしたい。
日本仏教界に危機感を持ち行動してきたが今後は今までの言動の責任をフリーの僧侶として模索し全力で果たしていく。」
と語られていて、
現在は京都市を拠点として教壇に立ちながら
タイ・チェンマイの大学で自らも学んでいく
という新しいスタートを切られています。
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仏教界の革命児と呼ばれる理由
高橋さんは経歴でも紹介した通り、
仏教界の慣例を次々に打ち破った事から
「仏教界の革命児」と呼ばれているんですね。
それは、今までの仏教界に対して
疑問を投げかけるような言動などももちろんのこと
枠にはまらないその企画や考え方からです。
尋常浅間学校に関してもそうですし、
若いボランティアが集まり
地域を騒がす計画を練ったり・・・
それ以外も「ほてら劇場」という
大騒ぎのコンサートを開催したり・・・
ちなみに”ほてら”とは「ホテル+お寺」の意味で
コンサートを開いた人達が止まっていくことから
ほてら劇場という名前が付いたとか(笑)
とにかく人が良く出入りする
温かいお寺の住職さんだったんですね。
寺とは本来そういうものなのだ。
かつての寺は祈りの場だけでなく、医療や学問の中心地であり、公民館の役割をもち、悩み事の相談所でもあった。
また、行き暮れた人々や、身寄りのない人々の安息の場所でもあったのである。それが忘れられて久しい。
全国に8万もあるといわれる寺と、そこに住まいする坊さんたちの意識が社会に向いていけば日本も確実に変わるのにと思う。
引用:http://www.dinf.ne.jp
なんだか温かい^^
高橋さんは、人の人生に必ず起こる
「生老病死」という4つの「苦」に向き合い
その苦を癒そうと全力を尽くしてきました。
100人いれば100通りの送り方があると
手作りの温かな葬儀を創りだしてきたんですね。
理容師の葬儀では理容店の椅子を寺に持ち込み
座ってお経を読んだり
落語好きの商店主の葬儀では
参列した落語家に落語を演じてもらったり。
こうするのも故人らしい葬儀をし
肉親の死という大きな悲しみ、
「苦」に直面した遺族の心を慰め
明日を生きる力をよみがえらせてほしいと
工夫を凝らしているんですね。
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現在の高橋僧侶のルーツ!イヤイヤ進んだ僧侶の道
様々な功績を持たれている高橋僧侶。
でも実は、高橋さんは最初は
僧侶になるつもりはなかったようです(笑)
父親とは、
物心ついた時から父と子というよりも
師匠と弟子という関係だったこともあり
中学から高校に入るときには夢ができ、
寺から脱出するために勉強したとか(笑)
お寺継ぎたくなかったんですねw
しかし、そんな高橋さんが
お寺を継ぐことになった理由は・・・?
高橋さんは大学時代
競技スキーを始めます。
しかし、そこで
「スキーをやるにはお金がかかる」
という問題に直面してしまいます。
バイトをしても追いつかないし
大会に出るのにどうしても必要なものがある・・・
どうしようかと考えていた時、
絞りに絞って出てきた案が
寺を継ぐと言えばお金がもらえるかもという発想w
「俺、寺継ぐから金頂戴」母親に言い、
高橋少年はお金をゲットしたんですね(笑)
言ってしまったからには、
もうお寺に入ることを覚悟し
入るまで最大限楽しいことするぞ!と
毎日遊んでたようです(笑)
そして、そろそろ逃げられなくなってきた時期
2年間の修行生活へ入ることになります。
当時の気持ちを高橋さんは
一刑期を刑務所の塀の中で過ごすのと同じ感覚。
と言っていて、
とりあえず1年、あるいは3年いってくればいいだろう
という感覚で修行へ行ったようです。w
副住職として神宮寺に入った時も、
高橋さんにとって寺の仕事は苦痛ばかり。
そんなとき、太平洋戦争の南方戦地跡での
戦没者遺骨収集事業に携わることになりました。
これが高橋さんの
僧侶人生の転機になります。
この事業にかかわり、
遺族や遺児の号泣を目の当たりにし
高橋さんは不条理の死に直面する人の苦しみ
を始めて実感ることになります。
結局千体の遺骨があり、千体の遺骨を総まとめにして、「戦没者」という。
だけど、一つ一つの遺骨には、一つひとつの人間の身体があって、それで一つのストーリーがあるんですよ。
それで一つひとつの家族がある、その家族の関わりがあるんですよ。
で、人間関係がいっぱい広がっているんですよ。
だからその一つの命が我々の知らないとこでではあるけれど、もう自分は死を迎えるなあ、ということを予測し、しかも強制的な死、不条理な死ですよ。
それを迎えるな、ということがわかっていながらにして、家族に対して「助けてくれ」とも言えないし、それから「苦しい」ということも言えないし、それでそういうふうになってしまった国家体制を、させてしまった国家体制を怨むこともできずに、そして軍の中で決められた規律の中で、「死ぬ時は、こういうふうにして死んでいくんだ」という、そういうような死に方まで教えられて、そこで死んでいかなければいけない。
その辛さって、もう並大抵じゃない、
引用:http://h-kishi.sakura.ne.jp
これを通して、そうした苦しもを共にすることこそ
僧侶の仕事ではないかと感じるようになりました。。
決して形式ばらず、
1人1人と向き合っていくルーツは
この経験が基になっているようですね。
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まとめ
さて、今回は高橋僧侶について調査してみました♪
高橋僧侶を調べていると
本当に温かくて1人1人と向き合っている方なんだなと感じましたね。
プロフェッショナルの放送を
楽しみにしたいと思います✨
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
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